キリストの死から復活への
過越の神秘にあずかる信仰を確認する時──
典礼は、2月17日(水)の「灰の水曜日」から四旬節に入ります。
四旬節は、復活祭をふさわしく迎えるために、
キリストの十字架の道を思い起こし、
自分の生き方を省みて改めるときです。
それは単なる反省ではなく、
心を神に向け直し、
そこから神との関係、人との関係を
新たに生きることです。
この回心のしるしとして伝統的に大切にされているのが、
「祈り、節制、愛の行い」です。
四旬節に勧められている「祈り・節制・愛の行い」とは、
わたしたちが本当に神に心を向け、
隣人に心を向けて生きることを目指しています。
それは同時に、
十字架の死に至るまで、
父である神に信頼し、
すべての人を愛し抜かれた
イエス・キリストの歩みに従うことです。
神は、言われます。
「わたしが望むのはいけにえではなく、愛である。
わたしが望むのは、焼き尽くす献げ物よりも、
人が神を知ることである。」
(ホセア6.6)
四旬節は、わたしたちが毎年新たな心で、
神を信じ、人を愛する道を歩もうとする季節です。
5,720円(税込)
第2バチカン公会議は典礼憲章の中で聖務日課を全教会の祈りとし、特に朝・晩の祈りをすべての信者の祈りとして復興させることを奨励しました。
1,320円(税込)
本書は、現行の『教会の祈り』では省略されている「読書」の第2朗読の「第2巻 四旬節」です。
880円(税込)
さまざまな状況の中で、聖週間の典礼にあずかれない人のために考えられた、受難の主日から復活節までの福音朗読箇所と黙想の導きを一つにした祈りの手引書。
220円(税込)
十字架の道行はもっとも古い信心の一つです。それはキリスト自身がたどった道をピラトの法廷から葬りの地まで、霊的にキリストとともに歩みたいという熱い願いから生まれた信心です。フルカラーで見やすい、十字架の道行のブックレット。
1,650円(税込)
人々が霊操体験をするための指導者の手引として書かれたもので、イグナチオが世にこの書をだして以来、世界のカトリック教会の中で知られ、大切にされてきたものです。
1,320円(税込)
粕谷甲一講話集第四巻。永遠であり、完全無欠である神がなぜ苦しまれるのか。神の愛し方の神秘についてわたしたちに問いかける。
1,885円(税込)
四旬節は単なる準備ではなく、復活徹夜祭〜復活節へと続く、主の過越の大いなるドラマの序曲ということができるでしょう。
1
あなたの尊いみ足のもとにひれ伏して、
心の底から罪のゆるしを願います。
特に自分の罪を、
あなたの限りない愛に背くものとして悔やみ憎みます。
再び罪を犯してあなたに背くより、
むしろ死ぬことを望み、
生涯、すべてに超えてあなたを愛することを決心します。
──「悔い改めの祈り」
──女子パウロ会公式サイトLaudateより──
【四旬節/LENT とは】
<典礼は、灰の水曜日から四旬節に入ります。>
<イエスが宣教生活に入られる前に砂漠で40日間断食をされたことにならい、
教会生活の伝統では断食、節制が行われてきました。>
→教会カレンダー「灰の水曜日」
→キリスト教マメ知識「灰の水曜日」
→キリスト教マメ知識「四旬節」
<四旬節とは、カトリック教会で、
イエス・キリストの受難と死を思い起こしながら
イエスの復活のいのちの喜びにあずかる復活祭の準備の40日間を指しています。
もともとは復活徹夜祭に洗礼を受ける志願者たちの準備期間でした。
ふさわしく洗礼の日を迎えるために、
キリストとしっかり結ばれるように心を整えていく時期です。
すでに洗礼を受けている信者にとっても、
四旬節は、復活祭をふさわしく迎えるために、
キリストの十字架の道を思い起こし、自分の生き方を省みて改めるときです。
それは単なる反省ではなく、心を神に向け直し、
そこから神との関係、人との関係を新たに生きることです。
この回心のしるしとして伝統的に大切にされているのが、
「祈り、節制、愛の行い」です。
四旬節に勧められている「祈り・節制・愛の行い」とは、
わたしたちが本当に神に心を向け、
隣人に心を向けて生きることを目指しています。
それは同時に、十字架の死に至るまで、父である神に信頼し、
すべての人を愛し抜かれたイエス・キリストの歩みに従うことです。
神は、言われます。「わたしが望むのはいけにえではなく、愛である。
わたしが望むのは、焼き尽くす献げ物よりも、人が神を知ることである。」(ホセア6.6)
四旬節は、わたしたちが毎年新たな心で、神を信じ、
人を愛する道を歩もうとする季節です。>
<(復活祭には)神の子イエスが、
死の闇に打ち勝ち、復活のいのちに入るご復活を祝います。>
→アレオパゴスの祈り:バックナンバー「2013年 3月2日」
<この四旬節の期間、すべてのキリスト者は、
洗礼の恵みを思い起こし、自分自身から出て、人に心を開き、
信頼のうちに御父の深い抱擁に身をまかせるように勧められています。
過酷な暴力と十字架上の死の苦しみを引き受けて、
わたしたちのために永遠のいのちを勝ち得てくださった
キリストの愛に応え、断食や人への愛の行いや奉仕、
自分には少し辛い犠牲をともなう節制、
十字架の道行きの祈りなどをささげながら、
特にこの季節、自分とすべての人が
心を神に向きかえることができるように努めるのです。>
→アレオパゴスの祈り:バックナンバー「2007年3月5日」
<四旬節に勧められている「祈り・節制・愛の行い」とは、
単なる宗教的なお勤めのようなものではなく、
わたしたちが本当に神に心を向け、
隣人に心を向けて生きることを目指しています。
それは同時に、十字架の死に至るまで、父である神に信頼し、
すべての人を愛し抜かれたイエス・キリストの歩みに従うことでもあります。
このように四旬節とは、わたしたちが毎年新たな心で、
神を信じ、人を愛する道を歩もうとする季節です。>
→アレオパゴスの祈り「2010年3月6日」
→アレオパゴスの祈り「2012年3月4日」
<祈り──
わたしたちは、祈るとき、心を神にあげ、
賛美や感謝、執り成しの祈りや懇願の祈りをささげることによって、
神への礼拝を表しているのです。>
<いけにえ──
「いけにえ」というと、旧約時代の動物のささげもののようなことを、
すぐに思い浮かべるかもしれませんが、
ここでいう「いけにえ」は、そんなものではありません。
詩編には、「神の求めるいけにえは、打ち砕かれた霊」といわれているように、
わたしたちが、礼拝、感謝、嘆願の祈りなどをもって
神と聖なる交わりを保ち、神と堅く結ばれるためにする
あらゆる行いこそが真のいけにえです。
そのような「いけにえ」は、私たちを真に幸福にしてくださるお方、
究極の善であるお方につながっているのです。
この世にある、唯一の完全な「いけにえ」は、御父への愛のため、
わたしたち一人ひとりを救うために、
イエスが十字架上でご自分のいのちを、あますことなくささげられた、
あの「いけにえ」です。
わたしたちは、このキリストのいけにえに結ばれることによって、
自分たちのいのちを、神へのいけにえとすることができるのです。>
→カテキズムを読もう「第195回 ただ主に仕えよ–祈り」
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