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インスピレーションの日【9月10日】

1946年9月10日、マザーテレサは、
黙想会へ向かう汽車のなかで、
神さまからの呼び声を聞きました──

それはどんな美しい呼び声だったのでしょうか。

女子パウロ会には、
たくさんのマザーテレサの本が用意されています。
わたしたちは、マザーのことが大好きです。
──なんと、女子パウロ会の“シスター白井”は、
「マザーテレサのことを、最初に日本に知らせた人」なのですよ!

女子パウロ会の本は、すべて、
それぞれの目標を掲げて出版されています。

そんな多くの本の中から、
「インスピレーションの日」について書かれた部分を
抜き出して、まとめてみました。

神さまの呼び声について
考えながら、
祈りながら、
ゆっくりと読み比べてみてください。

『マザー・テレサ こんにちは』


【神さまからのよびかけ】

 それは、一九四六年の秋のことでした。

 シスター・テレサは、たったひとりでダージリン行きの電車にのっていました。ダージリンというのは、遠いヒマラヤのふもとにある高山の町で、おいしい紅茶がとれることで知られているところです。テレサは、そこにある修道院でだいじな黙想(とくべつの時間をとってお祈りをすること)をするために、もう二日間も汽車にゆられていたのです。

 その二日めの夕方でした。テレサが、いつものように夕べのお祈りをはじめたときです。  テレサの心に、神さまのたしかな声が聞こえてきたのです。それは、つぎのようによびかけていました。

 ──あなたは、すべてをささげてスラム街に出なさい。そこで、貧しい人のなかのいちばん貧しい人の間でキリストに仕えるのです。──

 テレサは、そのよびかけが神さまのご意志だとすぐにさとりました。そして、そのとおりにしなければならないと信じたのです。それは、イエスさまがテレサ自身にお望みのことでした。

 ≪神さま、わたくしはすべて、あなたがお望みのとおりにします。≫

 シスター・テレサは、走りつづける汽車のなかで、神さまへの感謝をこめて、さらに祈りつづけました。それはちょうど、テレサが修道女になるように、はじめて神さまからのよびかけ(初誓願)があってから十五年めのできごとでした。

 そしていま、あらためて第二のよびかけによって、テレサには新しい働きが示されたのです。そのとき、テレサは三十六歳、働きざかりの年をむかえていました。

『マザーテレサの冒険』


【コルカタのまずしい人びとのなかで】

 アグネスは、1929年1月インドにつき、ベンガル州北部のダージリンの修練院(修道女になるための養成をするところ)で教育を受けました。ヒマラヤ山脈が見える美しい高原地です。20歳で誓願(神さまに身をささげるちかい)をたて、テレサという名まえをいただき、シスターテレサとなりました。

 そして、コルカタのロレット修道会の学校で教えることになりました。日曜日には見すてられた人たちが住む町のまずしい地域に行きました。

 ある日、ひとりの男が大きなつつみをもって修道会にやってきました。そのつつみから日本のかれた木のえだのようなものが見えています。テレサはそのすいじゃくして、いのちの消えかかった赤んぼうの足を見てびっくりしました。テレサはいっています。「その男の人は、自分の子どもだと知られるのをおそれていました。ですから、『この子は草むらにすてられていた』といいました。わたしのむねはしめつけられました。かわいそうな赤ちゃん! よわくて、ぜんぜん目が見えないのです。わたしは赤ちゃんをうでにだき、エプロンでつつみました。赤ちゃんは第二のお母さんを見つけたのです!」

 このけいけんは、テレサの未来をきめるできごとになりました。このような不幸な赤んぼうの頭の上に手をおいて、ほほえみながらながめるだけで、幸せになるということにむねを打たれました。まずしい女の人をよろこんでほうもんするだけでじゅうぶんでした。うしなうものはなにもありません。不幸な人にいつもおだやかなときをささげるために働くことが必要でした。  何年かたって、戦争がはじまり、ほかの修道女は修道院から別のところに避難しましたが、テレサはコルカタにのこりました。このときに、いつもほうもんしていた生徒やまずしい人たちをもっとよく知ることができました。

 1946年、テレサはダージリンへ行く汽車のなかで、「まずしい人たちを助け、その人たちと生きるために、ロレット修道院を去らねばならない」という神さまからのまねきの声を聞きました。テレサはいまの修道院を出て、いちばんまずしい人びとのために働く、あたらしい修道会をつくらなければならないということを理解しました。

『マザーテレサの霊性』


【1.聖性の源泉へ】

 マザーテレサの人生を振り返ると、聖性への冒険が始まるときの最初の振る舞い、建物であれば「最初の石(礎石)」が何であったかを見つけることができます。わたしたちにとって慰めとなるのは、このような行動は人生のどの年齢でも起きうるという発見です。言いかえれば、聖人になるのに遅すぎることはない、ということです。アビラの聖テレジアは、長い間、妥協のないわけではない、いわば普通の生き方をしてきました。あるとき、変化が訪れ、わたしたちが知るあのテレジアになりました。

 同じことが同名のコルカタのマザーテレサにも起こりました。三十六歳まではロレット修道会のシスターとして、召命に忠実に、仕事に励み、彼女の内にとくべつな何かを予想させることはありませんでした。

 毎年の黙想会に参加するために汽車でコルカタからダージリンへと向かう旅の途中、彼女の人生を変える出来事が起きました。神の不思議な招きの声がはっきりと聴こえたのです。“あなたの修道会、あなたの今までの人生から離れて、わたしがあなたに示す事業に自分をゆだねなさい”。マザーテレサの娘、シスターたちにとって、この日、一九四六年九月十日は「インスピレーションの日」と呼ばれて記憶されています。

 列福調査中に見つかった資料のおかげで、現在では、イエスが彼女に語ったことばが性格に分かっています。「インドのシスター、神の愛の宣教者たちをわたしは求めている。貧しい人たち、病者、瀕死の人たち、道端の子どもたちの間で、わたしの愛の炎であって欲しい。貧しい人たちを、わたしのところへ連れてきてほしい……。あなたは、わたしのためにこれをすることを拒むだろうか」。そしてこう続けました。「裕福で恵まれた人たちに関わる多くのシスターがいる修道会はあるが、わたしの貧窮者たちのためには誰もいない」。

 そのとき、マザーテレサの人生で、アブラハムの身に起きた体験が再現されます。神はある日、アブラハムに言いました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」(創世記12・1)。アブラハムに向けられた「出よ!」ということばは、後にロトに向けられる、「ソドムから出よ(脱出せよ)」(創世記19・15)という命令とは違います。カルデアのウルは、アブラハムがそこに居残ったら救われないほど堕落した街ではありませんでした。ヨハネ・パウロ二世はその詩集『ローマ三部作』で、神の勧めに対してアブラハムが心中どのように思ったか、想像してこう言わせています。「なぜ自分はここから出て行かなければならないのだろうか。なぜカルデアのウルを離れなければならないのだろうか」。

 同じ問いかけをマザーテレサもしたことを、わたしたちは知っています。内面の苦悩がありました。イエズス会士フェルディナンド・ペリエ大司教にこう打ち明けています。「わたしはロレット会修道女としてとてもしあわせでしたし、今もそうです。愛しているものから離れて、新しい大きな苦労と苦しみに身をさらさなければならないのでしょうか」。そしてイエスに向かってこう続けました。「なぜ完璧なロレット会修道女であることを目指すことはできないのでしょうか……。なぜ他のすべてのシスターたちのようであることはできないのでしょうか……。あなたがわたしに求めていることは、わたしにとっては大きすぎです……。よりふさわしい、より高貴な心を持つ人を探してください」。


 ここにも、聖書における一つの恒常性が再現されます。モーセは言っていました。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つほうではありません」(出エジプト4・10)。そしてエレミヤは、「わたしは若者にすぎません」(エレミヤ1・6)。しかし神は自らの呼びかけに対する反論が神の意志への反抗か、それともむしろ、提示された任務に自分がふさわしくないのではないかという畏れからのものか、区別します。したがって、彼らから説明の要望があっても怒ることはありません、マリアの質問「どのように、それは起こるのでしょうか」にはこたえますが、ザカリアのことでは叱責し、口が利けなくなります(ルカ1・18)。マリアの質問は疑いからではなく、神が彼女に求めていることを実現するためには何をすべきか知りたいという正当な欲求からでした。

 最終的にマザーテレサは、マリアのように、神に完全なフィアット(そうなりますように)、すなわち「はい」とこたえました。知られているさまざまな行いを通して、それも喜んで、はいと言いました。ラテン語のフィアットと訳された原語のギリシア語はGenoitoです。翻訳にあたって残念ながら、このことばが持つとても重要なニュアンスが失われてしまいました。Genoitoということばは希求形で、フィアットのように譲歩形ではありません。あることが実現するのを単に許可したり、甘受するのではありません。避けられないのなら、ほかに方法がないのなら、「それはみこころのままに!」というような意味はありません。その反対で、あることが起きることへの願望、早く実現しないかという焦り、喜びをあらわします。それゆえ「希求形」と呼ばれるのです。「神は喜んで与える者を愛す」(二コリント9・7)とあります。このことばをマザーテレサは絶え間なく娘たちの心に刻み込もうとしました。全生涯を通じて、とりわけ、そのほほえみで示していました。

『イエスの渇き 小さきテレーズとマザー・テレサ』


【貧しい人びとへの愛の誓い】

 それは一九四六年の九月十日、マザー・テレサが、年の黙想のためにダージリンへ列車で向かっていたときのことでした。貧しい者の中でももっとも貧しい人びとに奉仕するために、完全に身をささげるよう聖霊に強くうながされたのです。イエスは愛にとても飢え渇いておられることを彼女に感じさせました。イエスは彼にとってとても大切な貧しい人びとにおいて慰められたかったのです。「メッセージはとてもはっきりしていました。わたしが修道院を出て、貧しい人たちといっしょに生活し、彼らを助けるために完全に身をささげるということでした。それは命令だったのです。旅の終着点はわかりましたが、どの道を行き、どのような手段をとるのか知りませんでした。」

 マザー・テレサは聖書中の偉大な人びとのように選ばれたということを知っていました……アブラハム、エリヤ、イザヤ、エレミヤ……そしてだれにもましてイエスと聖パウロのように。彼女の神秘体験と熱情の鍵がここにありました。イエスに似たものになるように呼ばれていることは確かなことですし、ただひたすら彼のものでありたいとテレサは思いました。人びとへの飢えを癒したい。貧しい人びとの苦しみの中に彼女が見いだすのはキリストご自身です。

『マザーテレサの秘められた炎』p.52〜


 一九四六年九月十日の朝、シスターテレサ・ボヤジューは西ベンガル北部平野のシリグリ行きの汽車で、コルカタのハウラ駅を後にした。彼女はシリグリで下車し、その小ささゆえに「おもちゃの汽車」の愛称で親しまれていた線に乗り換えて、旅の最終段階を続けた。  小さな汽車の蒸気エンジンは、ヒマラヤの麓、五千フィートの高さにあるダージリンを目指して、二フィート幅の狭い軌道を山肌に寄り添うように登っていく。マザーテレサ以前に、イギリス人旅行者が記した同じような旅の記録から、マザーの旅の様子をかいま見ることができる。

・・・・・・ここからはメートル法軌道は終わり、ヒマラヤ・ダージリン行きの二フィート軌道が始まるが、それが何を意味するかをはっきり示している。客車に足を踏み入れると、おもちゃの汽車と勘違いしてしまいそうだ。そのサイズとは桁外れの騒音でエンジンがガタンとかかり、車体が大きく動いた。ときには円錐形の峠を回ってまた元のレールに戻ったり、進んだり戻ったりジグザルを繰り返しながら、それでも登っていく……

【インスピレーションの日】

 汽車が涼しくすがすがしい山の空気の中へ登っていく中で、シスターテレサは窓から青々と茂る森を眺めていたにちがいない。あの当時の汽車はのろかったが、それはエンジンが弱かったからではなく、線路が当てにならなかったからだ。夏の終わりに近い暑さがレールを曲げてしまうので、数時間のはずの旅も時には何時間も延びてしまう。しかし、小さな汽車が動いている間は、ある旅行者の精神は汽車が進むリズムに乗って、自然に祈りに導かれる。

 厚さの中のこの普通の旅行、夕闇が迫ってくる中で、人ごみと喧騒の列車の中で、何か異常なことが起こった。道中のどこかで、マザーテレサの魂の深みに天が開かれた。

 マザーテレサが何十年もの間、彼女の人生を変えた瞬間についてシスターたちに語ったことは、「召出しの中の召出し」、修道院を出てスラムの貧しい人たちに仕えに行きなさい、という神からの託宣を受けたということだけだった。しかし、その言葉とは比較にならないような偉大なことが瞬間的に起こっていたのだ。マザーのむかしの手紙や講話に現れるヒントや、後に自分が認めたことなどのおかげで、わたしたちは今、マザーが神の体験のあふれる恵みを受けていたことを知るようになった。それは後に彼女が表明するように、それほどの力と深さの体験、強烈な「光と愛」の体験であったので、汽車がダージリンの駅に到着したときには、彼女はすでに全く違った存在になっていた。それを知っていた人は誰もいないが、シスターテレサはマザーテレサに変わっていたのだ。

 三十六歳になったかならない若い修道女に新たな旅、彼女の生活のすべてをひっくり返す神との内面の旅が始まろうとしていた。車中で受けた恵みは、ただ彼女の神との関係だけでなく、彼女を取り巻くすべての人とすべてのものとのかかわりを変容したのだった。八日間という短い期間を経て、あの瞬間の恵みは、彼女と新たに発見された内なる火を、同じ山道を下り、新しい生活へと導いていった。ヒマラヤの高みから、彼女は深く新しい神のセンスを、汗みどろで疫病に満ちたコルカタのスラムへ、そして世界のステージへ、彼女自身はもとよりわたしたちの想像を遥かに超える光と愛を、もたらそうとしていた。

 以来マザーテレサは、九月十日に関しては単に「インスピレーションの日」という一般的な表現以外は、言語を絶する余りにも親密な体験について語ろうとしなかった。彼女の沈黙は生涯の最後の二、三年まで続いたが、聖なる瞬間についてベールを取り除く時がやってきた。

【神の渇きのメッセージ】

 わたしは彼女の手記を読み、ローマで、また今ブロンクスで会のシスターたちと語る中で、マザーテレサは一つのメッセージを託されたのだという結論に達し始めていた。あの日彼女が体験した神との出会いに加えて、あるいはその結果として、すべてのチャペルに掲げられた「わたしは渇く」というイエスのみ言葉が何となく響いてくるようになった。

 しかし、彼女にとってそれほど大切な、どんなメッセージがこの言葉に含まれているのだろうか。どんな深い意味があるのだろうか。九月十日の体験の二、三年後に書かれた「最初の会則説明書」の中で、マザーテレサはすでに核心となる意味のヒントを与えている。イエスの渇きの神秘を説明して「天地万物を創られた神は、被造物から愛を求めておられる」と書いている。十字架上のイエスは水ではなく、わたしたちとわたしたちの愛に渇いておられたのだ。

 一九五〇年代初めにミッションが始まったころ、イエスの渇きの叫びの背後にあったメッセージは、マザーテレサにとってすでに明白で、差し迫った招きであった。彼女に従った初期の仲間に語ったところによると、このみ言葉は死に瀕したイエスが求めていた水よりはるかに多くのことを啓示しているのだ。十字架上のイエスの最期に及んで、流された血の欠乏による水の必要が増し、イエスの体力的渇きが頂点に達したとき、それは水への渇きを無限に超える内面の渇きのシンボルとなった。このより深いレベルで、イエスのみ言葉は人間に対する神の渇き、「愛し愛されること」への渇きを雄弁に、情熱をもって話される。十字架につけられ、渇いておられたイエスを通して、砂漠の熱気の中で水に渇く人と同様の激しさで、神はその子どもたちに対する限りない思いを啓示されていた。

【すべてを一つに集めて】

 わたしはブロンクスで神の愛の宣教者会の会憲を練っているころ、マザーテレサの車中の体験と「わたしは渇く」というイエスのみ言葉との間に関連があるのではないかと考え始めた。二つとも同じ恵みではなかろうか。マザーテレサの車中における神との出会いの根源は、イエスの渇きとの出会いだったのではないだろうか。もしそうだとすれば、チャペルの壁の言葉は彼女にスポットライトを当てずに、車中で起こった恵みに満ちた日の神髄を、わたしたちが忘れないようにする方策ではないか。

 当時数か月、このことを考えて祈っていたわたしは、車中の恵みは少なくとも一部分、イエスの渇きをマザーテレサが強烈に体験したのだということを確信するようになった。わたしの探求を完成するために残されたたった一つのことは、彼女の確答を得ることだった。

 一九八四年初頭、マザーが次にニューヨークを訪問されたとき、わたしはとうとう彼女に車中の体験について尋ねる理由があり、その機会があった。彼女の滞在中、ブロンクスの家の前庭でわたしは彼女と二人きりだった。わたしはマザーの「インスピレーション」をよりよく理解するために、長年探求を続けてきたこと、そして、それをより明白な形で共同体の会憲に盛り込みたいという望みを話した。マザーがすべてのチャペルに「わたしは渇く」の聖句を掲げたことの、わたしにとってたった一つの意味は、イエスの渇きを体験した彼女自身の渇きから出ていること、また、神の渇きとの出会いこそが、九月十日の核心であり、本質であるだろうと説明した。もしこれが真実なら、わたしはそのことを会憲から除外したくない、しかし、もし本当でないなら、これ以上間違った探索を続けたくないことを説明した。

 わたしは沈黙のうちに答えを待った。彼女は一瞬のあいだ頭を下げていたが、目を上げて、「そうです、それは本当です」と答えた。そしてちょっと躊躇して、「いつかあなたも他の人びとに告げなければ……」と付け加えた。

 とうとうわたしは長年探していた確証と、何年も前にローマの本屋で魂の中に播かれた問いに対する答えを得ることができた。ついにそこにマザーテレサの秘訣の核心があることがわかった。マザーテレサを創り上げたのは、「貧しい人のために働く」というドライな命令ではなかった。マザーテレサの魂を精錬し、その仕事に燃料を与えたのは、彼女に対し、貧しい人びとに対し、そしてわたしたちすべての人に対する神の渇きとの出会いであったのだ。

 その日の彼女の言葉は確証というより、むしろ命令であった。これは、わたしの探求の終わりでも、チャペルの壁の聖句の研究であってもならない。それは、まさにもう一つの出発点であった。わたしは何とかして「他の人たちに告げ」なければならなかった。このような仕事に全く不釣り合いであったわたしは、マザーの言葉をシスターたちだけでなく、もっと広く世間一般に分かち合うために、何らかの方策を見つける必要があった。

 聖母マリアのように、最も間接的に、最も謙虚な方法で、マザーテレサは車中で出会った神の善良さと、彼女の生涯を変えた後でわたしたちの生活をも変え続けた神のメッセージをたたえることを望んだ。後になってわかったのだが、マザーのメッセージは、まず最も助けを必要とする人、神から最も離れている人、そしてすべての人のためであることをまざーは知っていた。そしてイエスの渇きと、彼女の数少ない穏やかな言葉と、愛の仕事の中で静かに伝わる神の愛のメッセージは、彼女の周囲と世界中で実を結んでいった。わたしは彼女を知っていたころからすでに、語られたメッセージがどのように人びとの生涯に触れ、癒やし、変えていったかを、自分の目で見てきた。

 ありがたいことに、続く年月の間に、マザーテレサはおそらくメッセージのインパクトが広がっていくのを見て、彼女の受けた恵みについての沈黙を和らげた。ブロンクスの家の庭でささやくように話したことを、マザーは最初遠回しであったが、次第にはっきりと、さらに講話や回状ではいっそう明白に語るようになった。特に彼女の手書きの書簡の一つは、この本を書くことを助ける推進力となった。

『マザーテレサ 日々のことば』

【9月10日 he was calling me】

わたしが神の声を聴いたのは、
汽車でダージリンに向かう旅の途中でした。
わたしには、神の声であることが、はっきりとわかりました。
神が呼んでおられると、わたしは確信しました。
メッセージは、はっきりとしていました。
貧しい人々の中に住んで彼らを助けるために、
修道会を去らねばなりません。
これは神のご命令であり、
実行されなくてはならない、はっきりしたことだったのです。
招きは、神とわたしの間のことです。
大事なことは、
神がわたしたちをそれぞれ違う方法で
お呼びになるということです。
あの困難で劇的な日々に、
これは神のなさるみ業であって、わたしの働きではないということは確信していましたし、
今もそう信じています。
これは神の業です。
そして、世界はそこから恵みを受けるであろうということが、
わたしにはわかっていたのです。

『キリスト教とは何か1 復活の秘義をめぐって』


第三章 マザー・テレサに学ぶ
4.誰からも必要とされていない孤独

 わたしも意地が悪いので、マザーの会のどこかに弱点があるのではないか見つけようと思って、泊まっているイエズス会の神父さんに尋ねました。みな異口同音に、マザー・テレサという聖者の光があんなにたくさんの人を呼び集めた。だからマザーが死んだら、あの会は崩壊するだろうという意見が多かったのです。わたしはまたその足でマザーを訪ねました。いつも圧倒されるのは、何を言っても、マザーはにこにこしていて全然緊張しないのです。マザーの両側の二、三人のシスターもにこにこと笑っています。「わたしは修道会を作ろうと思ったことはありませんでした。ヨーロッパの田舎に生まれて、十代でシスターになろうと思い、ミッションに行きたいと望み、友人の入った修道会がインドに行っていると聞いて、その会に入ってインドに来ました。それから十数年たって、コルカタの学校の先生をして、終生誓願を立て、平凡な一シスターとして生きてきました。」平凡なシスターの一人だった彼女はある日突然、第二の召命を聞いたのです。それは「おまえは正門から出入りするお嬢さんのためではなく、裏門に続くあのスラムの子どもたちにこれから生きなさい」という声でした。予想もしていなかったのですが、同時にそれは、それに従わざるを得ないほどはっきりしていました。どのようにして従うか、後は方法論だけでした。目上に話し、コルカタの司教様に話し、ローマの許可を得て、ベールをとって、二百円くらいのお金をもって家を出ました。三十九歳のヨーロッパの女性が、単身でインドのスラムに入っていったのです。神さまの声が自分を促しているのだから、彼が道を開いてくださる、それについていくだけ、その気持ちだけで何の心配もありませんでした。そうしたら、子どもたちが集まってきて、そこに一つの施設が生まれ、昔の教え子がだんだん集まってきて若い女性の集団ができました。いつの間にかそれが修道会の形態になり、「神の愛の宣教者会」が生まれたのです。

 ローマのパスポートは意外に早く来ました。マザーはこう言うのです。「だから神父さん、わたしは修道会を作ろうとは思っていませんでした。自然にこういう形態になったのです。貧困がこの地上にある限り、その貧しい人の中に主を見る姿勢で仕える人がいる限り、この修道会は続くでしょう。しかし、もしこの地上に貧困がなくなったとすれば、またあったとしてもそういう精神を失ったとすれば、この修道会は消えるでしょう、それでいいのではないですか」と。自分が初代で、誰が二代目で、三代目くらいで基盤ができて、全世界に広まってなどということは全然考えていません。そういう精神でやっていく限り続くでしょう。その精神を失えば消えるでしょう。精神が消えて形だけ残るのがいちばんいけないと思っているのです。単純明快です。それが創立者の魅力、カリスマというのでしょうか。自分の創った会に執着していない。それが本物の力で、圧倒されました。

『テレーズを愛した人びと』p.191〜


【神の愛の宣教者会の設立】

 誓願後シスター・テレサと呼ばれるようになったアグネスは、テレーズとともに平凡な日常生活を非凡な愛で生きようと努めました。具体的には一九二九年から一九四七年まで、コルカタの聖マリア学院で歴史・地理を教え、その後校長に任命されました。その間、上流階級の子女の教育にあたりながら、テレサの目にはいつも貧しい人びとの姿が映っていました。

 そんなシスター・テレサに、神さまは大きな計画をもっておられました。一九四六年、シスター・テレサは年の黙想に向かう途中で「もっとも貧しい人の間で働くように」という神からの使命を受けたのです。テレサはそのみ旨に従い、歩きはじめました。

 一九四八年、教皇ピオ十二世から修道院外居住の特別許可を得、コルカタのスラム街のなかへ入ってゆき、まず学校に行けないホームレスの子どもたちを集めて街頭で青空教室を開きました。やがて彼女のもとに聖マリア学院時代の教え子たちが助けに集まってきました。

深い孤独と闇の痛みのなかで──
【キリストからマザーへの三つの懇願】

 生前マザー・テレサは、一九四六年九月十日の黙想会へ行く途中の出来事「召命中の召命」について明確に語りませんでした。しかし没後、日記・手紙などでその出来事の核心であるキリストの嘆願が明らかになりました。

 キリストはマザーに告げました、「来てくれ。貧しい人びとのもとにわたしを連れて行ってくれ。来て、わたしの光となってくれ」。

 その具体化の手続きに手間取っていた一九四七年、さらに三回にわたってシスター・テレサは催促されました。

 最初は貧しい子どもの群れの叫びでした。「来てください、わたしたちをイエスさまのもとに連れて行って!」と。

 さらに聖母の願い、「彼らの面倒をみてください、彼らはわたしのもの。彼らをイエスのもとに連れて行ってください。恐れないで、イエスとわたしは、あなたとあなたの子どもたちとともにいますから」。闇に包まれた多くの人びとの群れと十字架上のイエスに向き合ってたたずむ聖母とテレサ。

 三回目の催促、「わたしはあなたに頼みました。人びとはあなたに頼みました。そしてわたしの母もあなたに頼みました。あなたはわたしにこのことを拒むのですか。彼らの世話をしてください。彼らをわたしのところに連れてきてください」。

『マザーテレサ すばらしいことを神さまのために』

──マザー・テレサと語る

マルコム─────ロレット修道院にいたとき、教えておられたようですが、教えるのは好きでしたか。
マザー・テレサ──教えるのはなにより好きです。ロレットではベンガル区の学校を担当していました。そのころ、今いっしょにいる女の子の大部分は教え子でした。
マルコム─────そして外の世界のある状況に気がついたとき、この生活が終わってしまったというわけですか。
マザー・テレサ──わたしにとっては召命のなかの召命、第二の召命でした。わたしをとてもしあわせにしてくれていたロレットすらも手放し、ささげて、貧しい人のなかのいちばん貧しい人に仕えるために街に出ていくという召命でした。
マルコム─────この第二の召命はどんなふうに起こったのですか。
マザー・テレサ──一九四六年のこと、ダージリンに、だいじな黙想をしに出かけるところでした。その汽車のなかで、すべてをささげてスラム街にまであのおかたキリストに従い、貧しい人のなかのいちばん貧しい人のあいだで、そのかたに仕えるという招きを聞いたのです。
マルコム─────こうしてあなたは決心をした。決心をさせられたといっていいでしょうか、あなたは、内なる声の求めていることを受諾なさったわけです。
マザー・テレサ──あのおかたのご意志だと知り、その御あとについていかねばならないのだと知りました。そのおかたのお仕事になるのだということに疑いはありませんでした。ただ教会の決定を待ちました。
マルコム─────ロレット修道院から出てくるのに教会の上のかたの許可が入り用だったのですね。どのくらいひまどりましたか。
マザー・テレサ──まずカルカッタの大司教に願い出なければなりませんでした。その承認の上で、ロレット会の総長はわたしがローマに手紙を書くことを赦してくださいました。こうしなければならなかったのは、わたしが最終誓願を立てた修道女でしたし、修道女が修道院を出ることは許されていなかったからです。わたしは教皇ピオ十二世にお手紙を書きました。折り返し便でご返事を受け取ったのは、四月十二日でした。ここから出て、修道院外の修道女であることができるとのこと、つまりカルカッタの大司教のもとに服従しながら修道者の生活をするということです。
マルコム─────何年まえのことでしたか。
マザー・テレサ──一九四八年のことでした。
マルコム─────教皇への手紙であなたは何をしたいとおっしゃったのですか。
マザー・テレサ──わたしには召命があって、わたしがすべてをささげて、スラム街の貧しい人のなかのいちばん貧しい人に仕えるなかで自分を全面的に神に渡してしまうように神が呼んでおられると申し上げました。

『あわれみへの招き 愛する心、仕える手』


 マザーテレサが安全な修道院での規則正しい生活を離れ、新たな使命に身を賭したのは、イエスとの出会いがまさしくあったからだ。貧しい人びとの中で最も貧しい人に、イエスの愛とあわれみを伝えるように、「あわれみのみ顔」となるように、イエスご自身がマザーテレサを呼ばれたのだった。彼女はこう報告している。「すべてを捨てて、スラムで、イエスに従うようにとの呼びかけを聴きました──貧しい人びとの中で最も貧しい人の内におられるイエスに仕えるためです。・・・・・わたしはそれがイエスのみ旨であり、従わなければならないとわかっていました。それがイエスのみ業となることに疑いの余地はありませんでした。」

『愛のあるところ、神はそこにおられる』導入より


 マザーテレサの受けた養育と環境は信仰教育を助け、彼女は幼少時代から神との親しい関係を深めていきました。十八歳のとき、インドでの宣教者になるようにという神の招きに応え、すべてをささげる生活を求めて決断をします。二十年近くロレット修道会のシスターとして過ごしたのち、例年の黙想会のためにダージリンへ向かう列車の中で、彼女自身が「召命中の召命」と呼ぶ招きを受けます。まったく愛されていないと感じている人、望まれない人、放置された人、取り巻く環境のゆえに神の愛を信じられない人びとに、その愛の運び手──神の愛の宣教者となるよう求められたのです。それはマザーの生活に抜本的変化を求めることでしたが、彼女はこの新しい任務を喜んで受け入れました。

 マザーテレサが列車の中で受けたインスピレーションは、神の愛について深淵な洞察を与えました。神がどれほど愛し、愛されたいと望み、思いこがれて「渇いておられる」かを、かつてなかったほど深く理解しました。神は彼女の愛と、創られた人間一人ひとりの愛、特に最も困窮する人に対する愛に渇いておられました。「わたしは渇く」という十字架上からのイエスの言葉は、彼女にとってこの激しい愛の表現となり、神の渇きを癒やすという彼女が受けた召命をつねに思い起こさせました。人びとの魂と愛に対する神の渇きを癒やすことは、イエスとのより深い一致に向かって喜んで精励することを意味します。それはまた、自分に対してどのような負担になろうとも、神の愛がその子らに伝えられるチャンネルとなる用意があることを意味します。この招きがマザーテレサに、彼女のミッションに対する差し迫った責任感を与えました。もし神の摂理が、ある人をマザーの小道においたなら、この人がよりよく神を知り、神とのよりいっそう親しい関係に入るのを助けるために、マザーは全力を尽くしました。

 新たな召命に応えるために直面した障がいにもかかわらず、インスピレーションに続く数か月の間、マザーはあふれるほどの恩恵を享受しました。しかしながら、貧しい人びとへのミッションを始めた彼女は、貧しい人びとの体験している荒廃した暗い現実の中に突き落とされます。すなわち、神はもう存在しない、神はもう彼女を愛されない、彼女のことを見放された、と。それにもかかわらず、感情的には逆でしたが、彼女は真実に深く神と一致し続けました。愛されず、望まれず、放置される痛みを体験することによって、苦しむイエスと一つになり、苦しむ貧しい人びとの中で最も貧しい人と一つになっていました。彼らの苦しみを分かち合うことによって、マザーは愛する人びとの痛みの一部を負っていたのです。

『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』p.72〜81


【インスピレーションを受けた日】

 一九四六年九月、三十六歳のマザーテレサは毎年の黙想会と必要であった休息のため、コルカタの北四百マイルのヒマラヤ山麓に抱かれた町、ダージリンにあるロレット修道院へ送られた。一九四六年九月十日火曜日、汽車での旅の間に、彼女はキリストとの決定的、神秘的出会いに遭遇する。彼女は長年、その詳細を沈黙のうちに覆うことに固執したが、後年それを明らかにした。

 それは、わたくしの召命中の召命でした。第二の召命です。貧しい人びとの中で最も貧しい人に奉仕するため町にでかける──非常に幸福なロレット会の生活さえもささげる召命でした。貧しい人びとの中で最も貧しい人の内におられるキリストに仕えるため、すべてをささげて、スラムにおいて主に従う呼びかけを聴いたのは、汽車の中でした。……わたくしはそれが神のみ旨であり、彼に従わなければならないと分かっていました。それが神のみ業となることに、いささかの疑いもありませんでした。

 マザーテレサは後に「インスピレーションの日」として祝うようにーなったこの日を、神の愛の宣教者会の真の発足と考えている。この修道会に入会する人の「入会記録簿」に、彼女は自分の名前の下に、「入会年月日── 一九四六年九月十日」と記し、後年シスターたちにこう語っている。

 一九四六年九月十日、ダージリンへ向かう汽車の旅で、マザーが受けた神の光と愛の強力な恵み、これが愛し、愛されたいという神の無限の切望の深みであり、MC(神の愛の宣教者会)の始まりです。

 彼女は後にさらに説明している。

 貧しい人びとの中で最も貧しい人に仕えることによって、イエスの渇きを癒やすために、神が「召命中の召命」を与えられたのは、一九四六年ダージリンへ向かう汽車の中での、この日のことでした。

【わたしは渇く】

 生涯の最期に至るまで、彼女は創立した修道会存在の唯一の、最も大切な理由は、イエスの渇きを癒やすことであると強調した。現在まで本質的には変わらない会則の第一草案(車中での出会いの数か月後に書かれた)の中で、マザーは、「神の愛の宣教者会の総括的目標は、十字架上でのイエス・キリストの愛と人びとの魂への渇きを、癒やすことである」と新修道会の目的を表明している。 「十字架上のイエスの渇きを癒やす」という会の目的は、彼女の神秘的体験が、十字架上で死に直面していたイエスが「わたしは渇く」、と叫ばれたときのカルワリオの状況の中で起こったことを示している。この聖書の引用がマザーにとって、召命の総括であり警句となっている。  会のシスターたちへの講話の中で、彼女は次のように説明する。

 全くの貧しさのうちに一人残され、あらゆる慰めを剥奪され、侮辱され、体と魂を打ち砕かれて死んでいくイエスは、十字架上で「わたしは渇く」と言われました。イエスは、水ではなく、愛と犠牲に対する渇きを話されたのです。  イエスは神ですから、その愛、その渇きは無限です。わたくしたちの目的は、人となられた神のこの無限の渇きを癒やすことです。天において礼拝する天使たちが、絶え間なく神の賛美歌を歌うように、シスターたちも、徹底的清貧、貞潔、従順、貧しい人びとへの愛の四誓願をとおして、あなたがたの愛と、主に導く人びとの魂への愛によって、絶え間なく神の渇きを癒やしなさい。

 この説明の背後には、彼女が明かしたこと以上に、さらに多くのことが存在する。彼女の後継者たちは、マザーがその日に受けた恵みの意味を、言葉と模範をとおして把握していった。  マザーテレサは、イエスの渇きの叫びを最初に耳にした人、マリアと一致することによってのみ、自分の使命を果たすことができると分かっていた。だからシスターたちにこう勧める。

 四誓願でつくられたわたくしたちのカリスをもって、カルワリオで十字架につけられたイエスのおそば近くにおいでになる聖母マリアと、つねに一緒に留まりましょう。そして、そのカリスを自己犠牲の愛、純粋な愛で満たし、イエスがわたくしたちの愛を喜んで受け入れてくださるよう、苦しむみ心の近くに、つねに掲げましょう。

 癒されることを熱望する身体的ニーズ、欠けているものを切望する痛みである渇きは、マザーにとって、一人ひとりに対する神の愛の特別な形の同義語となった。帰天する二、三年まえに、彼女は後継者たちに勧めている。

 イエスは、わたくしがあなたがたに、再度話すことをお望みです。……イエスがあなたがた一人ひとりに対して抱かれる愛がどれほどであるか──あなたがたの想像を、はるかに超えています。……イエスはあなたがたを愛するだけでなく、さらにそれ以上、イエスはあなたがたを慕っておられます。あなたがたが彼に近寄らないとき、イエスは悲しまれます。イエスはあなたがたに渇いておられるのです。あなたがたが、その値打ちがないと感じるときでさえ、イエスはつねに、あなたがたを愛しておられます。  MC(神の愛の宣教者会)にあるすべてのことは、イエスの渇きを癒やすためにだけ存在することが、わたくしにとっては非常にはっきりしています。すべてのMCの聖堂の壁に掲げられた言葉は、単に過去のものではなく、今、ここであなたがたに語られて、生きています。そのことを信じますか? ……イエスはなぜ「わたしは渇く」と言われたのでしょうか。それは何を意味するのでしょうか。言葉でそれを説明するのはとても難しいことです。……「わたしは渇く」というのは、イエスが単に「わたしはあなたを愛している」と言われるより、もっとずっと深いことです。あなたがたが心の深いところで、イエスがあなたがたに渇いておられることを分かるようになるまで、あなたがたにとって、イエスはどんな存在になりたいと願っておられるか、あるいはイエスにとって、あなたがたにどんな存在になってほしいかを、知ることはできません。

 愛と人びとの魂に対する神の渇きの神秘は、ダージリンへの旅の途中で彼女の心に刻まれ、彼女は貧しい人びとの中で最も貧しい人に、その愛を知らせるように召された。最初の会則の中で彼女はこの使命を立証している。

 固有の目的は、スラムの家庭や路上で、病人や死に瀕した人、物乞いや幼いストリート・チルドレンに、キリストを運ぶことである。病人は可能なかぎり、貧しい家庭内で看護される。幼い子どもたちには、スラムに学校を設ける。町外れにあるあばら家や、道端にいる物乞いを捜して、訪れる。

 彼女は後にこの文面を書きあらためて、「会の固有の使命は、単にスラムだけでなく、会員が存在する世界中のあらゆるところで、貧しい人びとの中で最も貧しい人の救霊と聖性のために働くこと」と拡張した。貧しい人びとやひどく苦しむ人びとが、彼女の愛の特別な対象であった。神をその起源と終焉とする愛、その愛だけが、人生の意味と幸福をもたらすことを彼女は知っていた。善きサマリア人のように、直接的、かつ効果的奉仕をとおして、日々の生活の中で出会う絶望的状況の中にある貧しい人に、神の愛を具体化することに、彼女は余念がなかった。愛の単純な仕事をとおして、貧しい人びとが人間の尊厳をもって生活し、神を知る機会を彼らに与えることを彼女は願っていた。こうして、「貧しい人びとの中で最も貧しい人の救霊と聖性」、あるいは「霊魂の救い」とは、彼女にとって、すべての人が神の無限の愛に出会い、神を知るようになり、それに応えて神を愛し、神に仕え、天の至福に至るよう、たゆみない努力をすることだった。  マザーテレサは貧しい人びとの中で最も貧しい人に、キリストの光をもたらしただけではない。彼女は、一人ひとりの中でキリストに出会っていたのだ。イエスはご自分を、貧しい人びとと苦しんでいるすべての人にとと同一視し、それを確証して言う。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」マザーテレサは、苦しむ一人ひとりとイエスとの同一視の深さを把握し、キリストの苦しみと貧しい人びとの苦しみとの間の神秘的関連を理解していた。謙虚な奉仕をとおして、彼女は「霊魂を神に──神を霊魂にもたらす」よう全力を尽くした。

【み声】

 同年九月十日、マザーテレサは一連の内的な声を聴き始め、それは翌年の中ごろまで続いた。実際には、マザーテレサはイエスの声を聴き、彼と親しく会話していた。彼女は、イエスが直接語りかけ、神の民の中で特別な仕事を始めるよう依頼した聖人たちの一人である。この普通でない体験の初めから、マザーテレサは彼女に話しかけている相手が、イエスであることを全く疑わなかった。しかし彼女はこれらの大部分のコミュニケーションを、「み声」として言及する。  キリストとマザーテレサの間で、一連の感動的美しい対話が続いた。イエスは最高の親しさをもって、「わたしの花嫁」または「わたしの愛しい者」と語り掛け、マザーテレサは、「わたくしのイエス」あるいは「わたくしだけのイエス」と、愛には愛を返すことを熱望しつつ応える。この聖なる対話において、イエスはご自分の心──その苦しみ、愛、慈しみ、最も苦しむ人びとに対する彼の渇き──を啓示された。イエスはまた、その愛の運び手として彼女を貧しい人びとのところへ送る計画も啓示され、この啓示は彼女の魂に深くこだました。何年もまえに家族に書き送った手紙の中で、彼女は派遣先の人びとに「生きる喜びをもたらす」望みを表明していた。 「彼らの人生の光となって、彼らをつねにあなたのもとに導く力」を求めて彼女は絶えず祈っていた。しかしながら、ロレット会を去ってキリストの現存のしるしとなること、スラムの中で貧しい人びとの中の最も貧しい人に、イエスの愛を慈しみを運ぶ者となることは、彼女の祈りに対して彼女が期待したような応えではなかった。それでも「み声」は懇願し続けた、「来て、来て、貧しい人びとのあばら家に、わたしを連れていきなさい。来て、わたしの光になりなさい」と。信頼に満ちたイエスの招きはマザーの心にしみ込み、イエスは彼女の応答に期待しておられた。  ダージリンでの黙想会中、マザーテレサは「祈りに明け暮れた日々に、彼とわたくしの間で続いたこと」を記録し始めた。後に彼女はこれらの記録を、「一九四六年九月以降のみ声の写し」として、言及している。さらに、彼女が聞き続けている「み声」を引用して、コルカタの大司教との文通に使っている。しかしその文通が始まるまでには、数か月が流れていた。

【最初のステップ】

 十月初旬、マザーテレサはダージリンからコルカタへ戻り、聖マリア学院での仕事を再開した。好機が到来するやいなや、彼女は霊的指導者であったイエズス会士セレスト・ヴァン・エグザム神父に、車中で起こったことと黙想会中の出来事を伝え、「黙想会中に記したいくつかのメモを見せた。」  マザーは自分が受けたインスピレーションに従って、直ちに行動したかった。しかし、従順の誓願によって生涯を神に奉献していたので、長上の承認なしに事を進めることはできなかった。彼女にとって長上の祝福は単なる形式ではなく、果たす仕事の中で神のみ手が働くことの確証であり、保護であった。長上の許可だけが、この召命が神のみ旨であって幻想ではないことを保証するものであった。  この召命を試し、識別するのは、彼女の霊的指導者、修道会の長上たち、そして特にコルカタの大司教であるイエズス会士フェルディナンド・ペリエの務めであった。正当でないと彼らが決めれば、思い留まらせなければならない。もし彼らが本物であると認めるなら、その実現を助ける義務が生じる。  賢明な霊的指導者であったヴァン・エグザム神父は、この件を非常に真剣に捉えた。彼はかねてから、この熱心で謙虚な修道女を称賛し、彼女の深い霊性を尊敬していた。彼にはマザーの誠実さを疑う余地は全くなかったが、このような体験に過度の信用をおくことは、万一それが、神からのものでなかったときに生じる危険も認識していた。  神のみ旨だけを果たそうというマザーテレサの固い決意を知っていた彼は、彼女のインスピレーションの正真性を試すことを決め、この異常ともいえる出来事における神のみ手の確認として、彼女の従順に重きをおくこととした。

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おお、わたしはイエスを愛す、
おお、わたしはイエスを愛す、
おお、わたしはイエスを愛す、
イエスが先に愛してくださったから!
『愛──マザー・テレサ 日本人へのメッセージ』p.85



──女子パウロ会公式サイトLaudateより──

【マザー・テレサを最初に日本に知らせたシスター白井】

<1976年秋、シスター白井は近代映画協会のスタッフ4人と共に、
 コルカタ(カルカッタ)で、マザー・テレサとその共同体、その働きを撮影し、
 映画『マザー・テレサとその世界』を制作したのでした。

 その撮影期間、マザー・テレサとシスター白井には、
 何かお互いに惹かれるものがあったようでした。
 このようなことを言うと、ある方はマザー・テレサに対して、
 何という失礼なことを言う、とお考えになるかもしれませんが、
 それ以降の2人の関係を見ると、そうとしか言いようがありません──>
→特別企画 マザー・テレサ:マザー・テレサを最初に日本に知らせたシスター白井

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