「キリストが神の子と言うなら、なぜ、十字架という犯罪人が受ける刑罰で死ななければならなかったのですか」
<教会は、「私たちの犯した罪ゆえに、キリストはあの受難の苦しみを忍ばなければならなかった」ということを、最初から教えています。
すべての罪人、私たちのためにキリストは十字架に付けられたのです。>
<原罪とそれに引き続いて犯され続けた人類の罪、そして私たちの罪のために、神から遠く離れていた私たち人類を、神のもとに連れ戻すために、神はご自分のひとり子イエスを、罪のために死に定められている人間の姿で、この世に遣わされました。
それは、私たちのために苦しみを受け、死に、私たちのために罪の償いをし、私たちを神と和解させるためでした。>
<イエスのこのような死は、私たちが義人だったからではなく、私たちが罪人だったからでした。
これは、神が先に私たちを愛してくださり、御子を遣わしてくださったことを示すものです。この神の愛は、だれをも除外しない愛です。>
<イエスご自身「多くの人の身代金として自分のいのちをささげる」と明言なさいました。この「多くの人」という言葉を、当時の人々は「すべての人」の意味で使っていた言葉です。
イエス・キリストは、過去、現在、未来のすべての人、ひとりの例外もなくすべての人のために、苦しまれ、亡くなられたのです。
その中に、もちろん、あなたも私もいます。>
→カテキズムを読もう「第31回 イエスは十字架につけられて死ぬ」
→カテキズムを読もう「第32回 キリストはわたしたちの罪のためにご自分を御父にささげられた」
→山本神父入門講座「40. イエスの十字架の道と死」