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立派な様子で立つこの聖パウロのご像は、いつ眺めても、背筋が伸びる気持ちがいたします。
しかし、そもそも、この聖パウロ像を見て、いったいどうして「聖パウロだ」とわかったりするのでしょうね。
当時の聖パウロの顔なんて、現代の誰も、知るはずがないのに!
よくご覧くださいませ。
聖パウロの持っているものは、なんでしょう?
それは、書物と、大きな剣です。
この二つのものを持っている像を見たとき、わたしたちは一般的に「使徒聖パウロだろう」と知ることができます。
こうした、個人を表す標識・モチーフを「アトリビュート」などと呼んでいます。
これはキリスト教文化に限らず、ギリシア神話や仏教などにも多くみられるものです。
さて、わたしたちは、使徒聖パウロの働きを使徒言行録によって、そして、使徒パウロによる多くの手紙によって、知ることができます。
特にその使徒パウロ自身による手紙…パウロ書簡と呼ばれる書物が、聖書のなかにどれだけの比率を占めるか、ご存じの方も多いかもしれません。
新約聖書のタイトルは全27巻あるとされていますが、そのうちの13巻が使徒パウロによる書簡とされています。
これはずいぶんと大きな比率です。
それだけ多くの手紙を、方々に書き送ったということなのです。
そしてその手紙を、人々は何度も書き写し、何世代にもわたって励まされつづけて、わたしたちが生きる現代まで残されてきたのです。
そうして、そのたくさんの手紙のイメージから、聖パウロのご像が書物を持つようになったのだといわれています。
どれだけ遠くの人びとであっても、うまれた国や宗教がちがっても。
わたしたちは神のもとでうまれた兄弟姉妹として、ひとつになった。
神のもとでひとつになった兄弟姉妹を、神の愛をもって愛した、使徒聖パウロ!
どんな状況下でも人々と交流をつづけ、励ましつづけながら、キリストへの道を証しつづけるパウロ書簡のそのエネルギーが、現代を生きるわたしたちの心も変わらず励ましつづけてくれています。
そんな聖パウロは、迫害の末に、ローマで剣によって斬首されたと伝えられています。
神の愛に死んでいくこと……殉教を、教会ではとても大切にしてきました。
それは、すべての人びとを愛するという神のご意志を生きぬいて、どんなことがあろうとも神に信頼し、神の愛を宣言しつづけた先に、あったものだからです。
殉教者はしばしばその表象として、殉教時の様子がアトリビュートとして用いられています。
そのようなわけで、像として建てられる聖パウロも、自然と斬首のための剣を掲げ持つようになっていったのでした。
わたしたちはこの剣から、ただつらいイメージばかりを抱くのではありません。
むしろ、その死の瞬間まで神の愛に信頼し、永遠の命の希望に燃えていた使徒聖パウロの平和に、心を寄せるのです。
また、聖パウロはその書簡でこのように述べています。