- 平田栄一 著
- 344ページ /A6判 並製
- 聖母の騎士社 発行
- ISBN978-4-88216-364-0 /Cコード:C0195
……わたしたち一人ひとりが、具体的に
日本人の心の琴線に触れるイエス様を
求めていきなさい、ということです。
それは何も、世間に目立つ大きなことをする、というのではなく、
毎日事あるごとに「南無アッバ、南無アッバ」と、
神父様のあの最後の実践にならって、唱えることかもしれません。
各自ができることを実践する。
神父様は、天国でそう望んでおられると思います。
──「あとがきにかえて」より日本人の心の琴線に触れるイエス様を
求めていきなさい、ということです。
それは何も、世間に目立つ大きなことをする、というのではなく、
毎日事あるごとに「南無アッバ、南無アッバ」と、
神父様のあの最後の実践にならって、唱えることかもしれません。
各自ができることを実践する。
神父様は、天国でそう望んでおられると思います。
初版発行:2016年2月25日
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もくじ
はじめに
序章 〈「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ〉に学ぶ
第一章 『日本とイエスの顔』における〈たとえ〉(一)
一 頭を下げる
二 「人の心」に巣くうもの
三 罪の無意識性と他者性
第二章 『日本とイエスの顔』における〈たとえ〉(二)
一 悲愛は可能か?
二 井上神父の回心体験
三 回心への原体験
四 為す愛、為さざる愛
五 黄金律と銀の教え
六 「悲愛」から「南無アッバ」へ
第三章 『私の中のキリスト』における〈たとえ〉
一 〈たとえ〉に触発された動機
二 ガリラヤ体験
三 「青春の迷い」への共感
四 タルムードの祈り
五 〈たとえ〉の立ち位置
六 軽み・和らぎの福音
第四章 『イエスのまなざし』における〈たとえ〉(一)
一 大地のように私たちを包むもの
二 日本人の神様
三 大地いじょうのかた
四 罪の自覚と十字架
五 「頭を下げ」「共に」生きる
第五章 『イエスのまなざし』における〈たとえ〉(二)
一 「行」と井上神父
二 「1 宗教における行の必要性」
三 「2 イエスの教えにおける行」
四 「イエスへの凝視と祈りの姿勢」
五 二つの注意と〈たとえ〉
六 悲愛へ導く「行」―「徴税人の祈り」
第六章 『愛をみつける』における〈たとえ〉
一 思い出すこと
二 他者の悲しみに心を痛める
三 哀しみをうつしとる心
四 イエスが先に受け入れてくださる
五 受け入れるとき傷つく
第七章 『新約聖書のイエス像』における〈たとえ〉
一 「〜について知る」から「〜を知る」へ
二 〈たとえ〉を総括する
第八章 『人はなぜ生きるか』における〈たとえ〉(一)
一 勘違い!?
二 Tさんへの手紙
三 日本人に受け入れがたいこと
四 善悪二分法へのつまずき
五 「アッバのあたたかさ」をこそ
六 悩みの歳月
七 愛、奉仕、平和
八 気負いと無心
九 「旧約」―「新約」間の断絶性
一〇 テレジアからテレジアへ
一一 編集史研究による確信
一二 「旧約」「新約」の軽重
一三 サンドメルとの出会い
一四 「確信」までの時間
一五 パイロットの不安
一六 パウロ主義の影響
一七 実践的キリスト教
一八 信即行
一九 三つの「行為」
二〇 二つの「愛」
二一 ユダヤ人にはユダヤ人のように
二二 〈善いサマリア人〉による焦り
二三 愛は自我行為ではない
○自我を「ひかえる」自己相対化
○自覚行為としての祈りの必要
○無心から自ずと溢れ出る悲愛
○第一に為すべきことは
二四 「信即行」としての祈りの模範
第九章 『人はなぜ生きるか』における〈たとえ〉(二)
一 〈たとえ〉への思い入れ
二 「ファリアサイ派」の姿勢
三 エゴイズムを溶かす“イエスのまなざし”
第一〇章 『キリストを運んだ男』における〈たとえ〉
一 サンドメルによる開眼
二 パウロの二つの顔
三 パウロの回心
四 二種類の「罪」と「愛」
五 〈善いサマリア人〉に続く〈マルタとマリア〉
六 ヨブの回心
七 〈金持ちの男〉
八 福音記者の編集意図
九 「幼子の心」と自己相対化
一〇 「信仰義認論」とアッバ神学
一一 「人を裁く」ことの問題点
一二 根底に神の「しかり」と「無条件のゆるし」
一三 「回心」を振り返る
一四 三者の祈り
一五 結実する「徴税人」の祈り
あとがきにかえて──追悼辞「神父の遺言」より
序章 〈「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ〉に学ぶ
第一章 『日本とイエスの顔』における〈たとえ〉(一)
一 頭を下げる
二 「人の心」に巣くうもの
三 罪の無意識性と他者性
第二章 『日本とイエスの顔』における〈たとえ〉(二)
一 悲愛は可能か?
二 井上神父の回心体験
三 回心への原体験
四 為す愛、為さざる愛
五 黄金律と銀の教え
六 「悲愛」から「南無アッバ」へ
第三章 『私の中のキリスト』における〈たとえ〉
一 〈たとえ〉に触発された動機
二 ガリラヤ体験
三 「青春の迷い」への共感
四 タルムードの祈り
五 〈たとえ〉の立ち位置
六 軽み・和らぎの福音
第四章 『イエスのまなざし』における〈たとえ〉(一)
一 大地のように私たちを包むもの
二 日本人の神様
三 大地いじょうのかた
四 罪の自覚と十字架
五 「頭を下げ」「共に」生きる
第五章 『イエスのまなざし』における〈たとえ〉(二)
一 「行」と井上神父
二 「1 宗教における行の必要性」
三 「2 イエスの教えにおける行」
四 「イエスへの凝視と祈りの姿勢」
五 二つの注意と〈たとえ〉
六 悲愛へ導く「行」―「徴税人の祈り」
第六章 『愛をみつける』における〈たとえ〉
一 思い出すこと
二 他者の悲しみに心を痛める
三 哀しみをうつしとる心
四 イエスが先に受け入れてくださる
五 受け入れるとき傷つく
第七章 『新約聖書のイエス像』における〈たとえ〉
一 「〜について知る」から「〜を知る」へ
二 〈たとえ〉を総括する
第八章 『人はなぜ生きるか』における〈たとえ〉(一)
一 勘違い!?
二 Tさんへの手紙
三 日本人に受け入れがたいこと
四 善悪二分法へのつまずき
五 「アッバのあたたかさ」をこそ
六 悩みの歳月
七 愛、奉仕、平和
八 気負いと無心
九 「旧約」―「新約」間の断絶性
一〇 テレジアからテレジアへ
一一 編集史研究による確信
一二 「旧約」「新約」の軽重
一三 サンドメルとの出会い
一四 「確信」までの時間
一五 パイロットの不安
一六 パウロ主義の影響
一七 実践的キリスト教
一八 信即行
一九 三つの「行為」
二〇 二つの「愛」
二一 ユダヤ人にはユダヤ人のように
二二 〈善いサマリア人〉による焦り
二三 愛は自我行為ではない
○自我を「ひかえる」自己相対化
○自覚行為としての祈りの必要
○無心から自ずと溢れ出る悲愛
○第一に為すべきことは
二四 「信即行」としての祈りの模範
第九章 『人はなぜ生きるか』における〈たとえ〉(二)
一 〈たとえ〉への思い入れ
二 「ファリアサイ派」の姿勢
三 エゴイズムを溶かす“イエスのまなざし”
第一〇章 『キリストを運んだ男』における〈たとえ〉
一 サンドメルによる開眼
二 パウロの二つの顔
三 パウロの回心
四 二種類の「罪」と「愛」
五 〈善いサマリア人〉に続く〈マルタとマリア〉
六 ヨブの回心
七 〈金持ちの男〉
八 福音記者の編集意図
九 「幼子の心」と自己相対化
一〇 「信仰義認論」とアッバ神学
一一 「人を裁く」ことの問題点
一二 根底に神の「しかり」と「無条件のゆるし」
一三 「回心」を振り返る
一四 三者の祈り
一五 結実する「徴税人」の祈り
あとがきにかえて──追悼辞「神父の遺言」より
著者紹介
平田栄一(ひらた えいいち)
1955年埼玉県生まれ。慶應義塾大学商学部卒。
埼玉県立羽生高等学校地歴公民科教諭。
現代俳句協会員。カトリック俳人。
求道詩歌「余白の風」主宰。
井上洋治神父の「風の家」運動を引き継ぎ、毎月「南無アッバ」の集いと講座を続けている。
1990年層雲新人賞ほか。
→井上洋治神父の「風の家運動」を引き継ぐ平田栄一のブログ:「南無アッバ」を生きる
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