- 寸法:直径1.9cm
- イタリア製
イエズス会の創立者、ロヨラの聖イグナチオのメダイです。
それからイグナチオは、山をおりてバルセロナへむかいました。
その途中マンレーサという町を通ったとき、おいのりするのにちょうどいいほらあなを見つけて、しばらくそこですごすことにしました。
目のまえにはカルドネル川が流れて、春のあたたかい日の光がほらあなにさしこんでいました。
しかしおいのりのとき、イグナチオの心にうかんでくることは、みじめな自分のことばかりでした。
競争心やめいよ欲、罪だらけの自分のすがたばかりに気がつきました。
八月のある日のこと、イグナチオは川岸にこしをおろして、イエスさまのことを静かに思いめぐらしながら、水の流れていくのをながめていました。
ふっと顔をあげたとき、目のまえを光が走りました。
かみなりにうたれたような感じになって、頭のなかはからっぽになってしまいました。
イグナチオは心の深いところで、ありのままの自分が愛されていることを感じました。
考えても考えてもわからなかったことを、このときしみじみあじわうことができたのです。
(ああ、アマポーリアがさいている。こんなにこの花の色は、赤かったのだろうか……)
イグナチオには、目にするものすべてが、いままでとちがって新しく見えたのです。
(イエスさまは、わたしのようなものを待っていてくださった。
わたしがイエスさまをむししていたときにも、わたしをお見すてにならなかった。
わたしがイエスさまをもとめていたのは、自分の利益のためだけだったのに……。
それなのに、こんなわたしをゆるしてくださったばかりでなく、このようなわたしを必要としてくださった。
わたしこそ、あなたが必要でしたのに。
ああ主よ、どうぞわたしを、あなたのなかまにしてください)
イグナチオには、イエスさまが親しい友だちのように思えてきました。
そしてどれいのように命令にしたがうのではなく、親友のためなら、よろこんで自分からなんでもしたいと思うイエスさまの友となりました。
イグナチオは、聖書を読みながら心でいのりました。
イエスさまのお望みやお気持ちが心にしみとおってきて、うれしい気持ちになりました。
このときのマンレーサでの経験を、イグナチオは『霊操』という本にまとめました。
そこには、キリストの兵士はどうしたらサタンのたくらみを見やぶって、勝つことができるかが書かれています。
──『神さまだいすき』(女子パウロ会 発行)その途中マンレーサという町を通ったとき、おいのりするのにちょうどいいほらあなを見つけて、しばらくそこですごすことにしました。
目のまえにはカルドネル川が流れて、春のあたたかい日の光がほらあなにさしこんでいました。
しかしおいのりのとき、イグナチオの心にうかんでくることは、みじめな自分のことばかりでした。
競争心やめいよ欲、罪だらけの自分のすがたばかりに気がつきました。
八月のある日のこと、イグナチオは川岸にこしをおろして、イエスさまのことを静かに思いめぐらしながら、水の流れていくのをながめていました。
ふっと顔をあげたとき、目のまえを光が走りました。
かみなりにうたれたような感じになって、頭のなかはからっぽになってしまいました。
イグナチオは心の深いところで、ありのままの自分が愛されていることを感じました。
考えても考えてもわからなかったことを、このときしみじみあじわうことができたのです。
(ああ、アマポーリアがさいている。こんなにこの花の色は、赤かったのだろうか……)
イグナチオには、目にするものすべてが、いままでとちがって新しく見えたのです。
(イエスさまは、わたしのようなものを待っていてくださった。
わたしがイエスさまをむししていたときにも、わたしをお見すてにならなかった。
わたしがイエスさまをもとめていたのは、自分の利益のためだけだったのに……。
それなのに、こんなわたしをゆるしてくださったばかりでなく、このようなわたしを必要としてくださった。
わたしこそ、あなたが必要でしたのに。
ああ主よ、どうぞわたしを、あなたのなかまにしてください)
イグナチオには、イエスさまが親しい友だちのように思えてきました。
そしてどれいのように命令にしたがうのではなく、親友のためなら、よろこんで自分からなんでもしたいと思うイエスさまの友となりました。
イグナチオは、聖書を読みながら心でいのりました。
イエスさまのお望みやお気持ちが心にしみとおってきて、うれしい気持ちになりました。
このときのマンレーサでの経験を、イグナチオは『霊操』という本にまとめました。
そこには、キリストの兵士はどうしたらサタンのたくらみを見やぶって、勝つことができるかが書かれています。
──女子パウロ会公式サイトLaudateより──
【聖イグナチオ(ロヨラ)司祭/聖イグナチオ・デ・ロヨラ】
イグナチオは、スペインのバスク地方の貴族ロヨラ家に生まれ、
幼いころから騎士道精神を身に付け、名誉を求めることを価値としていた。
1521年、戦場で負傷し、病床にあったイグナチオは、
キリスト伝や聖人伝を読んで感銘を受けた。
そしてすべてを捨ててキリストに従う決心をし、
マンレサに退いて、祈りと苦行に専心した。
このときの霊的体験が、有名な著書「霊操」を生みだした。
それから、ローマとエルサレムに行き、
ヨーロッパに戻りパリ大学で勉強をした。
学友の中から6人の同志を集め、パリのモンマルトル聖堂で、
「より大いなる神の栄光のために」、
また「すべての人のために」働くことを誓って、
「イエズス会」を創立した(1540年に正式に認可)。
そのなかには、日本の最初の宣教師であるフランシスコ・ザビエルもいた。
→聖人カレンダー「聖イグナチオ(ロヨラ)司祭」
【イエズス会】
イエズス会は、聖イグナチオ・デ・ロヨラによって創立されました。
ロヨラははじめ、司祭ではなく軍人の道を選んでいましたが、
1521年パンプローナでの戦いでフランス軍と戦い、重傷を負います。
療養中の苦しみの中、神に仕える決心をし、
バルセロナの巡礼地モンセラートで、過去の生活を悔い改め、マンサレーナで修行をしました。
その孤独の中で平安に満たされ、神に触れる体験をし、〈霊操〉を生み出しました。
モンマルトルの丘で、ザビエル等の6名の同志とともに
「清貧」「貞潔」「聖地巡礼」の誓願を立て、修道会創立に向かって歩みだします。
「より大きな神の栄光のために」働くことを使命とするイエズス会は、
特に学校を設けて、青少年の教育に力を注ぎました。
他方、会員の中からは多くの学者を輩出し、カトリック教会の発展の重要な役割を果たしました。
イエズス会は、非キリスト教徒への宣教活動を活発に展開しました。
当時、アジアでの活動の中で、その国の文化や習慣を尊重する宣教方針を取ったため、
逆に他の修道会との間に論争を引き起こしています。
→日本のカトリック教会の歴史「1.聖フランシスコ・ザビエルによる キリスト教の伝来」注釈より
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